コラム

「都市計画行政と文化行政の垣根を越えて~コンパクトシティ政策のその先へ~」


小林──私は文化行政の専門家としてこの場に参加していますが、文化政策がしばしば「道具的に扱われる」ような言われ方をされる場面に出くわすことも多く、そうではなく、もっときちんと評価されてほしいという思いを持っています。
 文化の価値は、都市開発や経済効果のための手段ではなく、それ自体が重要な価値を持っていると考えています。最近では、文化芸術が再開発の一環として当たり前に組み込まれていますが、それがうまく機能していない場面も多く見られます。大手ディベロッパーによる“箱物の発想”の中で、文化が単なる添え物として扱われていることが多いのです。
 そのような、やや表層的なまちづくりのあり方に対して危機感を覚える背景には、私自身の暮らしの実感もあります。私は武蔵野市に住んでいますが、ここはある意味、日本で最も“民主主義依存性”が高い街だと思っています。市民の政治意識が非常に高く、市長選の投票率も高い。市に対して意見を述べる市民も多く、多様な価値観が複雑に交錯しています。
 私は以前、その街の総合計画をつくる委員会の委員長を務めたことがありますが、そのプロセスは、行政職員やコンサルが作るのではなく、市民自身が計画を作るというものでした。そのプロセスは大変なものでしたが、そうした中で、地域づくりやまちづくりには必ずぶつかり合いが伴う、という現実を目の当たりにしてきました。だからこそ、「正解がある」まちづくりではなく、むしろ「正解がわからない」ことこそが大多数であるという前提に立った議論が必要だと、改めて感じています。現在の都市政策において、「文化を活用する」ことが目的化し、「誰のための文化か」という根本的な問いが見失われていると感じます。文化とは、制度や施設ではなく、人と人との関係の中で育まれるものです。
 今回のフォーラムを通じて、改めて実感したことがあります。それは、「新しい公共」をつくるという理念自体が、時に政治的に利用されてしまうことで、マイナスイメージを持たれることがあるという現実です。ですが、私はやはり「文化・アートを通じてまちを豊かにしていく」「創造性と関係性のある、住みやすいまちをつくる」ということの本質的な意義を信じています。そして、そのために私たちはどこで、どのようにそれを実現していくのか、今こそ真剣に考え、実行していかねばならないと強く思っています。

岡田──文化的コンテンツが商業的な装飾として扱われる傾向に対して、私も危機感を覚えています。特に東京のような大都市では、再開発に文化施設を組み込むことで事業者は容積のボーナスが得られ、結果的に利益を最大化するための“道具”として文化が位置づけられてしまうケースがあります。一方、地方都市では容積率による誘導が効きにくく、制度的な効果は限定的ですが、それでも「施設をつくって終わり」となり、文化的な運用が都市計画とは分離されてしまう問題は共通しているのでしょうか。

小林──文化施設の整備自体には意義があると思います。ただ、それが市民の生活とどう接続されるかが重要です。たとえば、武蔵野市ではかつて風俗街の増加に対して市民が強く反発し、図書館などの公共施設を戦略的に整備することで、まちの文化的環境をつくり直してきました。こうしたプロセスが、市民の声に基づいて“使われる文化施設”を生み出す鍵だと考えます。ハード整備そのものが悪なのではなく、「どう使うか」という視点が、今後ますます重要になるのではないでしょうか。

岡田──都市計画の立場では、施設整備に関する制度支援はある程度機能していますが、その施設を活かす「ひと」をどう育てるかという観点が弱く、文化行政との連携が必要だと感じています。特に箱物整備の段階から、文化行政と協働することで、新たな可能性が拓けるのではないかと考えています。
 それでは、実際に八戸市で実践を進めてきた前田さんからご意見を伺いたいと思います。

前田──私からは、地元の人間なので、まず生活者の視点、つまり「ここに暮らしている人々の目線」で、まちの変遷に触れながら、都市計画や文化行政など少し普遍的なテーマに話を繋げられればと思います。私は1967年に生まれましたが、ちょうど日本の人口が1億人を超えた直後の時代でした。八戸市でも、新産業都市の指定や水産業の発展とともに雇用も増えて、人口は大きく伸びました。この時期には中心街でも商店街の規模拡大が見られ、古い建物のなかに中央資本のスーパーやデパートが進出し、現在の景観が形成されていきます。都市計画としても、ちょうどその頃に現在の都市計画法に基づいた都市計画決定がなされ、市街化区域と市街化調整区域の線引きや用途地域の指定が行われました。
 私自身も子どものころは、親に連れられて中心街に出かけ、おもちゃを買ってもらったり、外食を楽しんだりと、非日常の体験をしていました。中学・高校になると、ひとりで街に出て本屋に行ったり、服屋で洋服を眺めたり、映画館で映画を観たりと、限られたお金の中でも文化に触れることができる場所でした。また、中心街で行われる伝統的な祭りなど、地元ならではの文化にも触れることができたのです。大学進学のために地元を離れた後も、帰省のたびにその街は私にとってお酒や食文化を楽しむ場となりました。
ただ、平成の初めごろからは、商業機能の郊外化が始まり、中心街の衰退が進みました。特に平成17年には隣町に大型商業施設が進出し、物販を中心とした空洞化が急激に進んだのです。その背景には、日米構造協議や規制緩和などといった制度的な要因もありました。
 こうした中、平成16年には「まちづくり三法」が改正され、大型商業施設の郊外進出に一定の歯止めがかかるようになりました。同時に、中心街の再生や生活空間としての商業機能の再構築が、法的に位置づけられるようになりました。八戸市は、2008年に第1次中心市街地活性化基本計画を策定し、商業衰退によって生まれた空きビル等の隙間を埋めるようなまちづくりを進めてきました。2011年にはまちの中心に「はっち」がオープンし、また2018年には「マチニワ」が開業、2021年には八戸市美術館もリニューアル開館を迎えました。約10年間の間に、いくつかの文化施設や公共空間が整備されてきたのです。これは、商業のオルタナティブとして、市民活動が行える場や広場が必要とされた結果であり、本来の都市計画理念、つまり経済活動だけでなく市民生活の場としての都市のあり方が反映されたものと評価できるのではないでしょうか。
 文化行政の観点からは、2017年に文化芸術基本法が改正され、文化芸術の振興が観光、まちづくり、福祉、教育など他分野との連携を前提としたものへと転換されました。この流れを受けて、文化行政との接続も意識した整備が行われてきたと思います。
 現在、私も中心街の一ユーザーとして、日々の生活の中で食品を買ったり、本を買ったり、洋服を選んだりしています。今日着ている服もすべて町中で買ったものです。週末には美術館やイベントにも足を運び、街を存分に楽しんでいます。このように、日常の生活者として街を使い続けることができているのは、都市政策と文化政策がうまくクロスオーバーしているからだと思います。そして、人口や経済が右肩上がりではなくなる成熟社会においては、こうしたまちのあり方こそが、全国的に共有できる都市政策のモデルになりうるのではないでしょうか。

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