岡田──以上、6名の登壇者からのプレゼンに対して、小林先生と前田さんからコメントを頂きました。ここからは登壇者の皆さんに質問をしていきたいと思います。
 まず杉崎さんに伺いたいのですが、小林先生がおっしゃったように、文化的な価値と社会的な価値を分けられないことを前提としたときに、施策に対してどのような評価ができるのでしょうか。
杉崎──すべてを「文化政策として評価する」必要はないと思っています。文化政策によって整備された空間や取組の意義については、都市計画の文脈からも説明することができます。すべてを「文化芸術のため」という目的に還元する必要はなく、それこそが「公共の場」というものだと思うのです。どちらかの価値に一義的に還元されるものではなく、むしろ、そこに「意味が付与されない自由さ」にこそ価値があるのではないでしょうか。前田さんがおっしゃったように、生活者としての価値がそこにあれば、それで十分なんだと、私は考えています。
岡田──生活者と文化の関係性という点では、小林先生が、自らが暮らす自治体の総合計画策定の委員長を務められていたお話も印象的でした。総合計画というのは、行政における最も基本的な指針となる上位計画です。そのような位置づけの計画に、文化系の方が関与されているという事例は非常に興味深いと思います。そこで、さまざまな自治体でご活動されている山下さんにお伺いしたいのですが、類似の事例として、他にはどういった自治体があるのか、ぜひ教えていただけますか。
山下──まず、先ほどの松本さんのお話の中で「行政の論理だけでは成り立たない。市民の目線がなければ成り立たない」という主旨のご発言が非常に印象的でした。私は熊本市や神戸市で「エリアマネジメントアドバイザー」を拝命しておりますが、実際に自治体の側でもそのような認識を持ち、取組を始めているように感じています。
 例えば熊本市では、総合計画に対して「感じる計画!」というタイトルをつけて、美術館で展示するという取組もなされていました。これは、計画内容へのコメントを募るというよりも、市民に計画を“感じてもらう”ことを目的に、あえて現代美術館という場で展示したという、非常にチャレンジングな試みでした5)。
 また私は、同市の文化芸術推進基本計画の策定委員会の委員も拝命しました。会議の中では、「まちは市民にとってのフィールドなのだから、何でも自由に使ってください」といったメッセージを繰り返しお伝えしたのですが、そうした言葉や姿勢そのものが、実はこれまであまり聞かれてこなかったのではないか、という発見があり、とても新鮮に感じられました。
岡田──まちを自由に使いこなすことのできる人材を増やしていくためには、自由な使い方に理解のある担当者が現場にいることも重要です。飯石さんと松田さんは、そういった「理解のある人」を増やしていくための活動もされているかと思いますが、実際のところ、どのようにしてそのような価値観を各自治体に広げていくことができるのでしょうか?
飯石──そもそもの前提として、「短期間で効率よく成果を出さなければならない」というゴールがあらかじめ定まっており、そこから逆算して動かざるを得ないという状況でスタートするプロジェクトには、やはりある種の“いびつさ”や難しさを感じてしまいます。
 それに対して、公共R不動産が関わるプロジェクトのように、期限はあるものの、最初からその制約をあまり気にせずに、ゆるやかに関係を築いていくような進め方もあります。最初は“とろ火”で温めるような関わり方をして、さまざまな人が出入りできるような「考えるためのフィールド」を少しずつ整えていく。そうしたアプローチでなければ、最終的に関わる人たちが離れてしまうという事態にもなりかねません。むしろ、そうした“遠回りに見えるやり方”こそが、実は一番の近道になるのではないかと、私自身強く感じています。
 仮設的でもいいので「まずはやってみる」。それによって、異なる立場の人たちの間に共通言語が生まれ、対話の土台がつくられ、当事者意識が生まれていきます。もちろん、研修のような形で学ぶ機会も大切ですが、それ以上に「みんなで手を動かしながら考える」「ともに何かを立ち上げるプロセス」。このような共同的な経験を重視する姿勢を、私たちは大切にしています。
松田──私たち外部の人間が突然現地に行ってできることは限られています。だからこそ、私たちとしてはまず、「何でもできる」という柔軟なフィールドを整えることを重視しています。行政の方と一緒に、「ここでは何をしても構いません」という状態をあらかじめ整えて、いわば“お膳立て”をするわけです。そのうえで、地元の中で「やってみたい」と思っている方を発掘し、その方々が関わりやすいような仕組みや環境を整えていく。そういう流れを意識しています。
 大事なのは、そうした“予測できない動き”を受けとめる側、つまり行政や施設の管理者の方々が、まずは小さな覚悟を持つことです。「何だかよくわからないけれど、やってみよう」と受け入れられるだけの寛容さがなければ、こうしたプロセスは成り立ちません。そういう意味では、管理側に求められるのは“寛容さ”なのだと思います。今後、こうしたプロジェクトや取り組みを応援していく場面も増えてくるでしょうが、予期せぬ出来事や展開に対して、ある程度の“幅”を持って受けとめていく。そうした柔軟な姿勢が、とても大事になるのではないかと感じています。